”ザ・キャプテン”ではないけれど

日中の気温が10度を下回る12月下旬の朝、中島大輔は息を上げながら取材が行われる応接室に姿を現した。トレーニングを終え、筆者の前に腰をかけた半ズボン姿の中島は現在の心境を語り始める。「今は悔しい思いが蘇ってくる日々。その度に練習しようと思える。綺麗事かもしれないが、次があると思えているのは負けから得たこと」。史上5校目となる大学4冠をかけて明治神宮野球大会の決勝で慶應義塾大学と対戦した青山学院大学は打線が沈黙し、惜しくも敗れた。「悔しい思いの方が強い。毎日のようにたらればですが、あの時こうしていればと感じるような日々を送っている」。中島はSNSで慶大の応援を見るたびに「いいね」を押す。悔しい結果に終わったあの試合をいつでも見返せるようにするためだ。現役生の頃は毎日5時半に起床する生活を続けていた。「朝起きる時も苦痛だが、夜10時くらいを回った時から寝ないとなと思うような夜もないような気がしてキツかった」。今日は8時に起きた。これまでの4年間と比べるとプレッシャーの少ない生活に違いない。それでも、苦い思いをしたあの決勝戦を思い出し、練習にふたたび精を出している。

中島の大学野球人生は二部から始まった。2014年に二部に降格したのち、長らく低迷していた青山学院大学野球部は2019年秋季リーグで昇格の大きなチャンスを迎えていた。前年の秋も優勝まであと1勝と迫りながらもわずかに及ばず辛酸を嘗めた青学野球部にとって優勝がかかった2020年11月4日の拓殖大戦は何としても物にしたい試合であった。シーソーゲームが続き、延長10回、一打サヨナラのチャンスで打席が回ってきたのは1年生ながらスタメン出場を続けていた中島だった。しかし、結果は無情にもダブルプレーに終わる。チームは延長11回に2点を勝ち越され優勝はお預けとなった。中島は「今までの野球人生にないくらい落ち込んだ」と当時を振り返る。チャンスで回ってきた時の姿は写真で見ても分かるほど、縮こまった弱々しい姿だったと回想する。
それから1年半後の2022年春季リーグ。青学野球部は降格の危機を迎えていた。下位3チームによるプレーオフはもつれにもつれ、結果は6試合目に持ち越しとなっていた。2022年6月3日、青学大対中央大。序盤に3点を先制されたものの、中盤に追いつき、9回の勝ち越しのチャンスで打席が回ってきたのはまたも中島だった。相手のピッチャーは後にドラフト1位で読売ジャイアンツに指名されることとなる西舘勇陽。2アウト1・3塁の絶好の機会で中島は西舘のストレートを左中間にはじき返し、勝ち越しに成功した。「1年秋はチャンスでことごとくダメで悔しかったという思いがあって、3年春にまたチャンスで回ってきた時に『ここで打たないと変わらない』と思う気持ちで打席に入って打てたのは一番成長を感じた場面だった。チャンスで打てなかった自分は弱々しかった。もっと堂々と試合に出てるんだからしなければならない思いで心は不安でも態度だけはデカイようにできたからこそ強くなった」。

3年生の秋、安藤寧則監督から主将就任の打診を受けた際も最初は乗り気ではなかった。「最初は嫌ですとずっと言っていた。同級生に強豪校のキャプテンをしていた人が多くて『自分じゃない』と思っていた。自分の理想のキャプテン像がずっとあって、それに自分がはまっていないのが一番大きな理由だった」。同級生には高校時代、主将を務めていた中野波来(大阪桐蔭)や手塚悠(常総学院)がいた。下級生の頃、チーム内で話し合う時にも中野の周りに自然と人が集まることが多かった。中島が龍谷大平安高でプレーした頃の主将・水谷祥平(現・東洋大)の存在も理想のキャプテン像と自らの乖離を感じさせた。一番に行動し、一番に怒られる水谷とは性格を異にする中島は自らを「怒られたくないタイプ。自分ができないと『お前できてないやん』と言われるのが嫌で思ったことも言えない性格だった」と振り返る。内気な中島を主将就任に導いたのは監督の言葉だった。「一番試合に出てたお前が悔しい経験も嬉しい経験もしているんだからこそ、お前がキャプテンをしないといけないし、その経験を後輩に伝えていかないといけない」。下級生の頃からレギュラーとしてリーグ戦に出場し、酸いも甘いも噛み分けた自分がやるしかない。中島は決断した。
理想のキャプテン像を追い求めていた時期もあった。そんな時に、中島を変えたのは前年度に主将を務めた山田拓也(現・東芝)のアドバイスだった。「『無理に見栄を張る必要もないしお前らしくやればきっとみんなも着いてきてくれるよ』と言われて気持ちが変わった。自分には自分にしかできないことがあるんだと思ってチームづくりを始めた」。理想を追い求めて空回りする必要はない。ありのままの姿であれば良いと決意を固めた。「言葉にするのが下手だったり、”ザ・キャプテン”というようにみんなを引っ張っていくことはできないということをチームメートに伝えた。だからこそ4年生に助けてもらえた。弱い部分を見せてきたことが自分らしさ、そのままでいれた自分だった」。自らの姿を赤裸々に曝け出したことで同じ4年生の間でも変化が生まれた。「4年生全員がチームを引っ張った代だと感じた。4年生になると出ている人と出ていない人がいて同じ方向を向いてない代も見てきた。僕らの代は出てない人の方が多かったが、そういった人がチームを鼓舞して引っ張ろうとしてくれたことは今までにないことだった」。
ありのままが一番。チーム中島の一年が始まった。
(後編に続く)
文責:円城寺雷太 写真:五島佑一郎