【過去記事プレイバック】東大野球部2025年春構想

大久保裕監督

 東大は変わり続けている。VR(ヴァーチャル・リアリティ)を利用した打撃練習が導入されたことが脚光を浴びたように日々新たな取り組みが続けられている。そのうちの一つが二人の打撃コーチの招聘である。荒井幸雄氏と栗山彰恭氏。二人は正反対ともいえる。前者の荒井氏はプロの舞台でも活躍した名選手である。経験を東大野球部の選手に還元することを期待しての招聘となった。「高校時代も社会人も一流の選手だった。キャリアの実績も十分。社会人でもバッティングコーチを務めていた。ピッチャーとの対戦というような実戦向きの指導を期待している」。一方で、栗山氏は自身を打撃コーチ兼打撃アナリストと表現するように最新の打撃理論にも精通した指導者である。「アナリストの方向性に期待している。バッティングのフォームについては色々な人を見て、昔の良い人を研究したり、理論的な方法を知ることで上手くかみ合えば良い」。東京六大学のレベルの高いピッチャー陣を相手とする中で簡単に打撃が向上することは困難である。しかし、指導者の下で練習を積み重ね、オープン戦で結果を出すことで着実に成長を遂げている。 

 打撃陣では外野手に期待が高まる。中山太陽の成長も東大野球部にとっては一つの好材料であった。長身でパワーのある中山には期待がかかっていてもなかなか結果が出ない時期もあった。しかし、昨年秋には打率.341の好成績を残し、慶應戦ではホームランも放った。「中山はよく打ってくれた。もともと良い打球を飛ばしていたが、ちょっと引っ張り気味だった。センターからライト方向へ良い打球が出るようになって、シーズンでも上手く仕事をした」。肩に不安があるため、リーグ戦ではファーストを守る。ベストナインを獲得した大原海輝や酒井捷らとともに打線を引っ張る。外野陣では長打力のある工藤雄大などの選手も控える。内野手では副将としてチームを引っ張った山口真之介に代わる存在の台頭が待たれる。先発についてもアンダースローのエースである渡辺向輝は1番手として確かな立ち位置を確立したが、2番手以降には不安が残る。勝ち点奪取に向けて体制を整える。

杉浦海大主将

 今年度の主将を務めるのは杉浦海大である。フレッシュトーナメントから正捕手を務め、江口直希などの好投手をリードしてきた。杉浦は東大野球部の野手陣に共通する課題を指摘する。「バッティングのフォームの研究といった自分のことは得意だが、外的思考を強めなければならない。配球を考えて読む、タイミングをずらされても打つというように、気持ち良いスイングでなくても打てるようにしなければならない。神宮で打つことだけを逆算する」。内的思考や外的思考はインターナルフォーカス、エクスターナルフォーカスとも言われる。自らの頭の中で打撃のフォームを試行錯誤する動作は内的思考である。一方で、相手のピッチャーと対戦する際には外的思考を頭に入れなければならない。「内的思考においては、常にセットポジションで、距離も決まっている。バッターはリアクティブで受動的なものだと思う。バッティングはピッチングよりも理論の解明が進んでいない。東大野球部は理詰めで行くので、ピッチャーの成長幅は大きい。バッティングはもとからセンスがある選手が一年生から打つことが多い」。杉浦が指摘する内的思考から外的思考への移行はバッティングに限った話題ではない。キャッチャーのポジションにも同じことが言える。「スローイングだったら、自分の中でここを動かすというのを考えないで二塁にパッと投げる。外に意識が向いている状態で動作を完成させなければならない。他の野球エリートはプレーの試行回数が多く、生まれながらのセンスが高く、内的思考がなくても本能的にできる。僕らが量をやったり本能的なところに落としこまないといけない。横着して理論でどうにかしようとして遠回りをしている」。杉浦は過去に東大野球部が苦しんできた問題を指摘する。そのうえで打撃が向上できるか。それが浮上のカギとなる。

佐伯豪栄投手

 佐伯豪栄は独特の雰囲気を持つ投手である。自身でも「しゃきっとするのが苦手」と語るように穏やかな話し口である。高校時代は渋谷教育学園幕張高校でプレーした。高校時代と東大野球部では練習に対するモチベーションが大きく変わったと語る。高校時代は「弱小校だった。楽しく、明るく、みんなで練習して、もちろん勝ちを目指すが、バッティングは遠くへ飛ばそうと追求していた。野球に対する熱はそれなりに高かった。それでも、(東大野球部は)高校時代と比べると全然違う。(高校では)授業終わって練習して解散みたいな感じだった。東大に来て思ったのは集合前からアップをしていて、練習して午後に練習に来る。夜に練習に来る人もいる。いつ来ても誰かしらいる。雨でも誰かしらいる。びっくりではないが、今までとは熱量が違うと思った」。佐伯も東大野球部で成長してきた。

 「(高校時代の)コントロールはめちゃくちゃでフォアボールを出してリズムが悪いピッチャーだった。高校の時と比べたら改善された。投げる量が増えた。チームでやっている、スローイングドリルをやったことでありがたいことにコントロールもよくなった」。はじめはピッチャーとして通用しない時期も長かった。「選手を見たら甲子園を出ている人も、体も大きい人もいる。簡単に試合には出れない。試合に出てもぼこぼこにされる。レベル的には自分とはだいぶ差があった」。2年春にはピンチの場面での登板も経験した。佐伯の持ち味の一つはランナーが出てからのピッチングであろう。佐伯は常時クイックでピッチングを行う。「どんな感じでも、ゼロに抑える。フォアボールを出して焦ることもあるが、ピンチでも落ち着いてる。先頭バッター出しがち。そのような状況を作ってしまう分慣れている」。怪我による離脱もあった。「あんまり長いイニングを投げたことがない首脳陣からすると計算しづらいように思う」。まずは中継ぎで結果を残すことが目標だ。

中山太陽外野手

 中山太陽は物語のある選手である。宇都宮高校時代、中山は東大野球部に入部することを強く願っていた。「高校生の時は絶対に東大野球部に入りたいと思っていた。高3の受験生の時もそう思っていた。一浪しても東大しか受けなかった。野球部に入ろうと思っていたが、浪人の12月ごろに自分の持病であるぜんそくが悪化してしまった。大学野球はハードな環境なので、そこの練習についていくのは体的に難しいと思った。気持ちは全然行けたが、ちょっと難しいなと思った」。高校の先輩である阿久津怜生にも相談をした。そして、入学時には野球部に入部しない決断をする。しかし、転機は秋に訪れる。中山は秋のリーグ戦を観戦する。「そこでの応援や阿久津さんの姿を見て、自分がやりたかったことはこれなんだと気づかされた。実際、高校の時も東大野球部には入りたいと言っていて、両親や監督に、他の高校の監督にも期待をかけてもらっていた、その人たちの顔や言葉が脳裏に浮かんだ」。ぜんそくも完治はしていなかったものの快方に向かっていた。そして、念願だった東大野球部に入部する。そしてリーグ戦出場を目指した。

 「入部してからも数値的な面、飛ばす打球には期待はかけてもらっていた。でも、高校野球を引退してから2年間くらいブランクがあった。実戦での対応は2年生の時には悩んでいた。3年生ではリーグ戦にも出て、慣れて緊張しないようになった」。ラプソードを始めとする多くの機器を用いて計測を行う東大野球部において、中山が叩き出す数値やその体格には期待がされていた。ブランクを経て、経験を積むとともに結果を残していった。そして、昨年の秋は中山はさらに一皮むけたように思える。慶應戦でホームランを放った。「慶應戦からフォームを変えた。夏合宿ではフォームを固めようとした。構えを高くして位置エネルギーを使おうとしていた。明治戦と早稲田戦では直球に刺された。何かを変えないとと思い、一週間空き週に打撃フォームを試した。それで一打席目にホームラン。このフォームで行けるかもと思った。ターニングポイントだった」。その後、打率3割を残したのは周知の通りである。また今年も結果が残せるか。真価が試される。

奥畑ひかり主務

 東大野球部にも女性主務が誕生した。奥畑ひかりである。慶大の小林由佳が2018年に主務になって以降、法大の宮本ことみ、立大の遠山夏澄、明大の岸上さくらのように各校で女性主務が増えてきた。祖父も父も阪神ファンという野球一家で育った奥畑は智辯和歌山高校の出身である。野球のイメージが強い智弁和歌山高校であるが、和歌山県内では進学校として知られている。決してはじめから東京六大学野球に関心があったわけではない。しかし、智辯和歌山高校の先輩にあたる選手が大学野球で活躍していた。神宮球場で高校日本代表対大学日本代表の試合が開催されていた。奥畑もその試合を観戦した。六大学の応援も入っていた。「ずっとファン側の人間だったが、近い距離に行きたいなと思った」。東大に進学したのは野球部でマネージャーをするため。そう断言する。東大野球部のマネージャーによって更新されるブログも一つの動機となった。「東大野球部は上下関係が厳しいわけではない、下級生からやりやすい、東大のマネージャーが選手と仲が良さそうだなと思った」。選手との距離の近さは今でも意識している。

 奥畑が主務となったのには現実的な理由もある。東大では1年の6月頃からスタッフを選ぶ作業が始まる。選手を誰か一人マネージャーに転向させその人を主務とする。そんな選択肢が取られてきた。しかし、それでは選手を一人減らすこととなってしまう。そこで主務になることに自身でも意欲を見せていた奥畑が主務を務めることとなった。そして、今年の結果になったというわけである。高校時代と大学時代ではチームもいくぶん違う。「智辯和歌山は応援していると地方大会ではほとんど負けない。東大野球部ではそれが真逆になった。チャレンジャーの環境になった」。強豪校出身のマネージャーとしてつながりも多い。そして、東大の新たな時代の到来を感じさせる異色のマネージャーである。