大学野球における若手育成 第24回 慶應義塾大学・奥本翼投手(大分舞鶴・2年)

※この記事は「スイッチヒッター~2025年春大学社会人野球総合版~」に掲載された記事を修正・再加筆したものです。慶應義塾大学野球部の協力なくして記事の公開には至りませんでした。この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。

夢は現実に、そしてふたたび夢を見る

 甲子園のマウンド。それは高校野球でプレーする者が一度は憧れを抱く舞台であろう。3年前の第94回選抜高等学校野球大会で開幕試合のマウンドに立っていたのは大分舞鶴高校の奥本翼であった。後に広島東洋カープでプレーすることとなる常廣羽也斗を擁した2019年。今では社会人野球でプレーする左右の二枚看板を擁して決勝まで進出した2020年。奥本は2年次の2021年からエースとしてチームを牽引するようになる。そして、その年の夏の決勝で王者・明豊高校と対戦する。「先輩の代を背負っていて、結構緊張していた。相手が明豊でずっと明豊に負けてきていたので意識はしていたが、だいぶ強かった」。0ー6と完敗を喫し、甲子園への道はあと一歩で途絶えた。しかし、甲子園の切符は意外なところからやってくる。次の年のセンバツ大会に二十一世紀枠として大分舞鶴高校が選出されたのだった。奥本の生活は一変する。「決まったときから人生が変わった。取材もめちゃくちゃ来る。甲子園は夢の舞台だった。実際にプレーしたときは緊張するかなと思ったが、全くしなかった」。願うしかなかった場所。そこでプレーができる。それも開幕試合でプレーできる。コロナ禍で開会式には6校だけが参加した。それにも参加することができる。3年が経てどもかつての記憶を語る奥本の目は輝く。

 2年秋に慶大の関係者から声をかけられたことをきっかけに慶大への進学を考えるようになった奥本。しかし、それまでの道のりは決して容易いものではなかった。3年夏に野球を引退してから野球の練習以上に厳しい受験勉強へと精を出したものの一度目の受験は不合格。二度目の受験では「FIT入試」で合格を果たした。FIT入試とは受験者が志望理由書や活動履歴を提出し、事後に行われる小論文試験や面接によって合否が決定される試験だ。一般入試の勉強と並行して受験勉強を行う苦労は想像に難くない。一年越しの合格は「流石に嬉しかった」。
 慶大での環境は高校時代と大きく違った。初めは抵抗のあった寮生活も温かい仲間に囲まれて生活している間に楽しいものとなっていく。入寮日が新入生で最も早かった奥本を好きな温泉に連れていった先輩のことは今でも覚えている。練習環境も高校よりも充実したものとなった。大分舞鶴高校では雨が降ると、校舎の隅で練習をするというように思うような練習ができないこともあった。慶大には室内練習場がある。ウェイトに励むことができる環境もある。練習量も大きく増えた。高校時代は練習というと午前練習が中心だった。しかし、慶大は一日練習ばかりだ。実戦の数も桁外れに多い。去年まで投手コーチとしてチームを支えてきた中根慎一郎助監督からは手ほどきを受けた。恵まれた環境で確かに力をつけてきた。

 シニアの先輩にもあたる常廣とはかつてOB戦で対戦したことがある。打席に立ったが、バットにボールが当たらなかった。そんな常廣はプロ野球の舞台で一軍の挑戦権をかけて戦っている。「舞鶴一号が出たのでそこに続いていきたい」とは奥本の談である。東京六大学にも大分舞鶴高校の選手が増えてきた。明大、早大に加えて今年からは法大にも野上大耀が加わる。ライバルには負けていられない。高校時代から自身のあるコントロールと遊び心からも生まれる多彩な変化球を武器にリーグ戦出場を目指している。奥本は自らが野球を始めた10年以上前を振り返る。そして、将来に思いを馳せる。「甲子園も夢の世界だった、本当に自分が行けるなんて思っていなかった。慶應で野球ができるなんて思っていなかった。改めて今の環境に感謝して頑張らないといけない」。想像もできなかった舞台。そんな夢は目標に変わり、次々に現実になっている。そしてふたたび、夢を見る。

<人物プロフィール>

2004年9月2日大分県大分市生まれ。中学時代は大分リトルシニアでプレー。高校時代は大分舞鶴高校でプレー。2022年春のセンバツ大会では二十一世紀枠で甲子園に出場。エースとしてチームを牽引した。一浪を経て、FIT入試で慶應義塾大学へ入学。最近の楽しみはアニメ「サカモトデイズ」を延末藍太(慶應・2年)と見ること。アピールポイントは負けず嫌い。