※この記事は「スイッチヒッター~2025年春大学社会人野球総合版~」に掲載された記事を修正・再加筆したものです。慶應義塾大学野球部の協力なくして記事の公開には至りませんでした。この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。
山があっても、乗り越えられる
法政大学野球部には品川侑生という選手がいる。3年生の内野手で2024年春季リーグにも2試合に出場した。進学校ながら強豪校として知られる三重高校の出身である。そんな品川と高校時代は切磋琢磨し、大学ではライバルとしてプレーすることとなった選手がいる。慶應義塾大学の寳田裕椰である。中学時代はショートを守り、「守備キャラ」として名をはせた寳田も高校時代はセカンドを守っていた。それは品川がすぐ側にいたからだ。寳田にとって品川とはどんな選手だったのだろうか。「守備も打撃も抜群の野球センスだった。一緒に高校1年の秋から二遊間を組んだ。一歩どこか前にいる感覚だった。少しは差が縮まった。それでも、品川はリーグ戦に出ているが、僕は出ていないから追いつけていない。彼も新チームでちょくちょく出ている。この春はベストナインを一緒に取りたい」。高校時代は一歩先にいた。大学では斎藤快太(副将・25年卒)などの力のある先輩から教えを受け、力はついてきた。それでも、まだ半歩先にいる。
ところで、品川が3年生であるのに対して、寳田は2年生である。父が慶大出身であることから慶大に対してはいくばくかのイメージは抱いていた。そして、中学高校と野球をプレーし、高校の先輩である小川尚人(副将・24年卒)や新井朝陽(25年卒)といった選手が慶大へと進学したことで憧れは目標へと変わっていく。一度目の受験を振り返る。「東京は人が多かった。みんな賢そうに見えた。それはまた自分が知らない受験の世界でびっくりした。めちゃくちゃ緊張した。第一志望の経済学部の試験で英文が読めなくてめまいがして、汗をかいた」。そして、浪人期間が始まる。あれほど勉強をした期間はない。二度目の受験は自信に満ちていた。全く緊張はない。「落ちるわけがない」。合格を勝ち取った時には寳田の目はすでに野球へと向いていた。
慶大には意識の高い選手が多い。「色々なバックグラウンドを持っている選手が集まってる。技術を磨いてきた人が多い印象がある。生まれ持ったセンスや才能だけでやっているというよりも、自分の技術を言語化できて人に教えられる選手が多い。取り組む姿勢は絶対負けないだろうという気持ちがある」。高校時代には自信のあった守備もスローイングの不安から自信を失った時期もあった。それでも、成長は感じている。斎藤からは役に立つ下半身の使い方を教わり、スローイングの技術は向上した。小川からはティーの意味、監督が選手のどのような部分を見ているか、チームに貢献するとはどういったことかというような実戦的なことを学んだ。仲の良い高校時代からの同期である福井怜侑が弟の清原勝児(1年・慶應)に似ていたことを縁として清原正吾(25年卒)からもバッティングを教わった。他の選手からアドバイスを求めることで少しずつが野球に対する理解が深まってきた。正解・不正解が分かってきた。成功体験も増えてきた。
若手主体となるサマーリーグでは応援団に囲まれながら早慶戦に出場した。下級生のまとめ役としてチームについて考える機会も増えてきた。二遊間は守備の上手い選手が多く、激戦区である。それでも、競争は幸せなこと。ライバルがいるから成長できるのだから。「将来は挑戦し続けたい。今までも迷ったら苦しい道を選んできた。かっこよくやるタイプではない。浮き世ながらも、もがきながら泥臭く生きていきたい」。挫折は経験してきた。でも、それを乗り越えてきた。最後は目標を達成してきた自負はある。だからこそ、次の山だってきっと乗り越えられる。
<人物プロフィール>
2003年7月21日京都府城陽市生まれ。中学時代は大阪交野ボーイズでプレー。高校は三重高校でプレー。一浪を経て、先輩の小川尚人、新井朝陽と同じ慶大へと進学。2年次のフレッシュトーナメントではキャプテンを務める。最近の趣味は読書。村上春樹「ノルウェイの森」を読書中。チーム内で仲の良い選手は福井怜侑(三重・2年)など。アピールポイントは負けん気。
