大学野球における若手育成 第23回 日本体育大学・西山チアゴ内野手(ラウニオン・2年)

※この記事は「スイッチヒッター~2025年秋大学社会人野球総合版~」に掲載された記事を修正・再加筆したものです。日本体育大学大学野球部の協力なくして記事の公開には至りませんでした。この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。(年齢・学年は当時のものです)

大学野球修行

 200人以上の大所帯の日本体育大学野球部において西山チアゴの経歴は異色である。まず、生まれはブラジルのサンパウロ。ブラジル人の父とペルー人の母の間で生まれた。そして、3歳でペルーに移り住む。その後、12歳頃にはブラジルに再び移り住む。そして、高校卒業をきっかけに家族で日本にやってきた。野球は5歳の頃からプレーしている。日本と比較すると遊びのような野球だった。もともと母はソフトボールをプレーしていた。父は現地に多い日系人とともに野球をプレーしていた。現地の野球人気は日本ほどではないが、西山にとって野球は身近な競技であった。中学校では週3回ほどプレーしていた野球に高校生からは本格的に取り組むこととなる。日本では高校野球でプレーすることが多いが、ブラジルでは高校生の有望株は「アカデミー」と呼ばれる組織に所属することが多い。代表に選出される多くの選手も「アカデミー」に属している。そして、西山も週5回ほど「アカデミー」で野球をプレーするようになる。そして、一家で日本に移り住むことになったため、知人を頼り、日体大までたどり着いた。そして、ここまで1年半あまり日本の大学野球でプレーすることとなったのである。

 日本に移住してからはまず言語の壁がある。ブラジルでも日本語を勉強する機会はあったが、それだけでは会話はままならない。来日後、しばらくは接客業のアルバイトを通して日本語を身につけた。普段の生活でも違いがある。南米では治安が悪いエリアもあり、自由に外出することは難しい。日本では携帯電話を外で使用していても強盗に遭う心配はない。そして、野球の面でもいくつかの発見があった。ブラジルでは野球人口が少なく、ライバルも少ない。しかし、日本の野球人口は比にならないほど多い。さらに日体大の人数は多い。1年生も毎年、多く入部してくることとなる。その競争に打ち勝たなければならない。他にも練習においても「連続ティー」の練習が極めて多い。海外ではあまりやることの少ない練習には苦労もあった。しかし、それもまた新たな力となった。「日本に来てからはここ1年間で全てが上手くなった。良い環境で先輩たちが優しくしてくれるし、一緒に練習してくれる。守備もバッティングも走塁も全部レベルアップできた」。自身のあった内野守備も小吹悠人(現・エイジェック)から刺激を受けた。走塁についても、定評のある岩田一真(東海大菅生・4年)から指導を受けることもある。

 今年の春にはWBC予選のブラジル代表として選出された。ベテランの選出も多い代表選手の中で西山は若い部類である。「経験を未来のために生かしたいということで呼ばれた。30歳以上の選手が多く、若い人は少なかった。足が速い人も少なかった。自分より下の人は2人しかいなかった。代表に選ばれた選手みんなで仲良くなった。そのグループたちとまた野球をしたいなと思った。海外は上下関係がない。30歳でも40歳でもみんなで仲良くできた」。来年のWBCではブラジルはアメリカと同じ組に入った。野球に無理はない。しかし、厳しい戦いになる。将来的な代表選出も視野に入れ、力を磨いていく。西山にとって試合に出る一番の近道は走塁の能力を上げること。ブラジルには日本のように代走の能力が高い選手がいない。だからこそ大きな武器となるのだ。そして、他の選手と同じようにリーグ戦出場を目指す。「リーグ戦出場のために、自分の課題を見つけて、チームのために何ができるか考えて、練習をしていきたい」。地球の反対側とも言われる遠く離れた南米の地から来日し、これまでとは違った環境で自らの能力を磨く。その姿はまさしく「修行」である。