※この記事は「大学野球総合版~2024年秋季リーグver~」に掲載された記事を修正・再加筆したものです。
登板機会も「野球部初」も プランを立てて着実に手に入れる
垣田聖弥の経歴を知ると、きっと驚く。高卒認定試験で受験条件をクリアし、東京大学文科Ⅰ類に合格しているのだ。しかし垣田はただ経歴が珍しい人物ではない。綿密な計画を描き、確実に大学野球で力を発揮する道を、同時に大学卒業後を見据えた道を整えている。
垣田の強みは現実的な計画性だけでなく、その言語化能力に表れているように思う。たとえば自身の投手としての特徴を把握するとき。垣田は自身の投球を「回転効率の高さと回転数の多さ」が特徴だと表現する。実際にデータを活用したキレのあるストレートが持ち味だ。一方で弱みはコントロール。「調子がよくても良い球が行ってると力んでしまう」という。バッターを差し込めているから、「もっと良い球を」と意識して空回ってしまう。
言語化して理解できれば、良い点を活かす、悪い点を潰すための策を練ることができる。東大Bチームの投手の練習はフィールディングとラン以外は特段決まったメニューがなく、自分の課題に長時間向き合うことができるという。だから大学4年間を長期的に見て、1年生では体力を取り戻すことに費やした。2年生の今はメンタルの安定。自分の意識ひとつで良さを不意にするのは惜しい。その日のピッチングの良し悪しに関わらず、体が強張らないようにしたい。
垣田の野球人生には2つ、成長したポイントがある。中学3年生でそれまで務めていたキャッチャーを辞めたことと、大学に入って硬式のボールを使うようになったことだ。
垣田が野球を始めたのは小学1年生のとき。父親に連れられて近所の軟式クラブチームの練習会に参加したのがきっかけだった。小学2年~6年の5年間は家族の転勤で北京に移り、日本人のクラブチームで野球を継続。得意だったのはサッカーだというが、日本に戻った中学校ではサッカー部が厳しかったために野球部の入部を決めた。
中学3年生の夏、チームには垣田ともう一人、キャッチャーがいた。しかし実力は向こうの方が上。それなら、と空いていた外野に入ることにした。キャッチャー以外の視点を得られて上達できたタイミングだ。
その後、高校でも軟式で野球を継続。大学ではじめて硬式球に触れ、ここ数か月ではあるが球速も4~5km/h上がり、成長を実感している。
その成長を実践の場でも発揮したい。来年、3年生の春にリーグ戦に食い込めるように任された所でアピールすることがこれからの目標だ。3年では中継ぎで短いイニングを確実に抑える働きを見せたい。そして4年生では春秋を通じて出場できるように。自分の力を過信しないで、第二先発での登板を想定している。
大胆ながらも現実可能性があるプラン設計は高卒認定試験を経て東大を受験した経緯にも表れている。高校2年の終わり、フランス語の成績が良かったのでフランスの大学に進学することを考えた。そして高校を辞めて「退路を断った」。結局フランス進学は叶わなかったが、翌年の夏の終わりごろから東大受験に向けて自宅で勉強し、条件をそろえて文科Ⅰ類に合格したのだ。
大学卒業後の職業選択にも表れる。法律に関心があるといい、卒業後は法曹を目指す。在学中に司法試験を突破すれば東大野球部初。メインを野球に置きつつ勉強と両立したい。
「ライバルは全員」。具体的な計画で、文武両道を強かに狙う。 (敬称略)