あの日を乗り越えた栄光

2022年5月14日、慶大対明大1回戦。石原勇輝にとって忘れられない、そして転機となった試合がやってくる。3回4失点で降板した盟友・蒔田稔からバトンを受け継いだ石原であったが、制球に苦しみ、4回4失点と結果を残せなかった。蒔田や村田賢一が先発に定着している中で焦りも感じた。「同級生がこんなに活躍しているのに自分は何をしているんだろうという気持ちはあった」。
2023年4月24日、慶大対明大3回戦。石原にもついに先発のチャンスがやってきた。昨年の秋までは自らが先発を務めるなど思ってもよらないことだった。オープン戦で先発として登板する機会はあったが、リーグ戦での初先発は格別だ。「やっときたか。やってやるぞという気持ち」で挑んだ初陣では6回途中無失点の好投を見せた。チームは惜しくも敗れたものの、確かな成長を感じさせる一戦だった。
2023年10月26日、運命のドラフト会議当日。プロ野球志望届を提出していた石原、蒔田、村田の3人の投手の中で最初に名前が呼ばれたのは石原であった。両手で力強く拳を握った。笑顔が溢れ出た。「六大学の成績も自分が一番残せていない中で呼ばれたので驚きが隠せなかった」と当時を振り返る。

もう一度、大学4年間をやり直せるならば―。石原は思うような活躍ができなかった下級生の頃を思い返す。「1年生の時に戻りたい。1〜2年生は先輩がやってたからやろうと、自分で考えずにやっていた部分が大きかった。その分、結果も全然出なかった。下級生の頃から自分でしっかり考えて、他人の意見もしっかり聞いてやっていたら少しは結果も変わったのかなと思った」。あの日までは。散々な結果に終わった慶應戦から石原は少しずつ変わり始める。「西嶋一記コーチからは『持っているものは良いものがあるんだからそれを信じてやった方が良い』と常日頃から言われていた。その言葉を信じて、自分も練習に取り組んだりしていた」。精神面でも成長を遂げた。「大学1〜3年生は不安な気持ちがいっぱいあったが、3年春から自分を信じてやっていこうという軸が自分の中にできたので、そのおかげで3年秋〜4年秋は成績が出た。1〜3年生はガッツポーズを控えめにしてきた。自信がなかったので、感情が表に出なかった。4年生の頃からは自覚が芽生えてきて、感情が出るようになってきた」。あの日をきっかけに強くなった石原はチームの3連覇の主力選手となるまで飛躍していた。

「全体練習が終わった後に戸塚俊美助監督のアメリカンノックを二人で受けたのは思い出。あれがあったから今の自分がある」。蒔田の存在を語らずして石原の躍進を語ることはできない。「大学生活4年間は蒔田と一緒に過ごした。蒔田には負けたくない気持ちでやってきた。蒔田とは一緒にいて楽しいし、多くのことを学んだ。蒔田とはもう一度野球をやりたい」。グラウンド外でも多くの時間をともに過ごした。歌が決して上手いとは言えなかった二人はともにカラオケへ行き、清水翔太の「花束のかわりにメロディーを」を練習をした。常に良きライバルであり、良き仲間であった。ドラフト会議では、蒔田は志望届を提出した4選手の中で唯一の指名漏れとなった。「蒔田も『2年後プロに入りたい』と言っていたので、自分も2年後蒔田が入ると信じてやる。プロの世界で活躍できるようにしたい」。夢が叶い、プロでの活躍を誓う石原。社会人で成長し、プロ入りを目指す蒔田。来年からは異なる場所で新たな夢へと向かって奮闘する。

「自分で取り組んできたことは間違っていなかったんだ」。石原の4年間は決して順風満帆ではなかった。挫折も栄光も経験した。それでも、あの日から積み重ねた努力は最後にドラフト3位指名という最高の結果で実を結んだ。来年からは東京ヤクルトスワローズで大学時代と同じ神宮球場の舞台で躍動する。「六大学以上に人が入るので、大勢の中で歓声を浴びて投げたい。ああいうところで投げられる人は限られているので、注目度がある中で投げられるのは自分は幸せ者だなと思う」と決意を新たにする。高卒でプロ入りを果たした佐々木朗希投手、奥川恭伸投手といった同世代との差はまだ大きいと感じている。高校生の時、彼らが100で石原が0であるならば、今はどこまで追いついたかと問いかけた。石原は50くらいと謙虚に答える。急成長を遂げ、プロ入りを果たしたが、まだまだ道半ばだ。プロでも「一年一年という考えはなく、来年から何十年でも一軍で活躍できる息の長い現役生活を送れたら良いなと思っている」。石原は次のステージでも勇敢に輝く。
文責:円城寺雷太 撮影:五島佑一郎 写真提供:あやり