
怪我により開幕からチームに貢献することはかなわず、3試合の登板に終わった春季リーグ。異国の地であるオランダ・ハーレムにてオランダ相手に6回1失点の好投を見せた大学日本代表。わずか3か月余りの期間の日々でも野球人は大きく変わる。寺西成騎はそう教えてくれる。開幕から苦しい戦いを強いられた日体大野球部の中で寺西は悔しさを噛みしめていた一人だ。「自分自身が3節目から怪我が治って投げられるようになった。最初から投げられていれば違う結果になっていたかなと思う」。桜美林大戦ではリリーフとして初登板。残留をかけた城西大戦と筑波大戦では5回までながらも先発として試合をつくり、チームを勝利に導いた。
リーグ戦終了後に行われた大学日本代表候補合宿には選出されることすら予想外だったと振り返る。実際に、大学日本代表に選出された際の驚きはさらに大きかった。「選ばれた瞬間は震えた」。それもそのはずだ。公式戦の舞台で投げ始めたのはほんの1か月ほど前のことだったのだから。
普段以上にレベルの高い選手に囲まれて過ごす大学日本代表の期間は大きな刺激となった。昼間は練習に取り組み、選手間で知識を交換する。夜になるとホテルの部屋でくつろぐ。一日を通して周囲の選手と過ごす。印象に残ったのは同学年の中村優斗投手(愛知工業大学)。夜にホテルでくつろぐ様子は可愛らしい普通の大学生の寺西が評する中村の投球は別格だったという。寺西も中村からトレーニング方法など体の使い方をはじめとする多くのことを学んだ。
海外でプレーするとこれまでとの違いに戸惑う選手も多い。例えば、ボールが日本と海外では異なる。寺西自身も当初は海外のボールが合わず、指の幅を広げながら試行錯誤しながら対応したという。ボールが抜けやすいというデメリットがある一方で、変化球の曲がり幅が大きくなるというメリットもある。こうした環境の変化から、大学日本代表後に行われる秋季リーグ戦では成績を落とす選手もこれまでには多くいた。大学日本代表で監督を務めた堀井哲也(慶應義塾大学野球部監督)からも「ジャパンが終わってから活躍することができなかったと言われないようにしてくれ」と指摘されたという。寺西も「ジャパンとドラフトの後は気持ちが高まるのでそういったことはないようにしたい」と気を引き締める。
目指すべき次のステージはプロの世界だ。日体大野球部でプロ入りを目指しはじめたのは2学年先輩の矢澤宏太(現・日本ハムファイターズ)がプロ入りを決めたころだった。二刀流としてプレーした矢澤と直接話す機会は決して多くはなかったが、それでも寺西の目標を明確とする存在となった。大学卒業後にすぐにプロの舞台へ進むことができるよう日々奮闘する。
そして、リーグ優勝。「最後は4年生の力が出ると思う。今は3年生に引っ張っていってもらっている。4年生の意地を見せたい。最後もう一回リーグ優勝したい。自分が負けなければおのずと勝ち点取れる」。今季は苦しい戦いながらもチームの中心的な存在として黒川怜遠が全体をまとめあげ、監督やコーチも尽力もあってなんとか1部で戦う資格を再び得た。これまでの王者としての戦いとは少し変わって、5位からのスタートとなる。「開幕戦で良い形で入れればなと思う。今は5位から上に行くだけなので全力でぶつかっていく」。いきなり正念場が始まる。