「自分の力を出せなかった。成績は悪かったが当然の結果だった。甘く見てた。今シーズンも今まで通りやっていれば良いと思っていた」。箱山優は防御率3点台に終わった春季リーグを振り返る。3連覇中の日本体育大学は当然、優勝候補の一角を担っていた。しかし、いざ蓋を開けてみると開幕から6連敗。特に前季、2部から昇格した帝京大学戦では危機感を覚えた。「勝つ気があるのかなと思った、野手のことは言いたくないが、全員が同じ空振りや凡退をして改善されていなかった。気持ちが見えなかった」。勝負の世界で油断は大敵である。「チーム全体で行けるだろう、どうせ勝てるでしょうという雰囲気があった」。チームが少しずつ変わり始めたのは2節目の東海大学戦からだった。「負けはしたが東海大学戦からは気持ちが入っていた。チーム全体でこれはまずいぞという雰囲気だった。全員がどうしたら勝てるかを練習の時から考えていた」。リーグ戦が進むにつれて、チームの調子も上がっていった日体大野球部。6連敗から4連勝でなんとか5位に滑り込んだ。これまでとは少し違った秋が始まる。
箱山に「負けず嫌い」という言葉はよく似合う。箱山の負けず嫌いは今に始まったことではない。幼少期、友人とかけっこをするときは勝てるまで勝負を続けた。日体大野球部では身体能力の検査を年に3回程度行う。箱山の身体能力は当初から言うまでもなく高かった。「周りに比べたら身体能力は高いほうなのかなと思った、大学来て自分は周りに比べたらやれるんだなと思った。周りより上だなと思うようになった」。特に走力やメディシンボールを使った測定では常にトップクラスの値を叩き出していた。しかし、時には他の選手に自らの記録を抜かれることもある。そんな時は「周りに負けたくないので、誰かが自分の記録を越したら、自分が越すまでやる」という。反骨心こそ箱山の成長の大きな秘訣だ。
もう一つ、箱山の大学での成長を語る上で欠かせないことがある。それは辻孟彦コーチの存在である。大学入学当初は野手としての練習も行っていた箱山が投手も野手も中途半端になっていることを危惧して投手に専念することを助言したこと。日体大OBである大貫晋一の三振は狙わず、直球と変化球で打ち取るピッチングスタイルが箱山に似ていると進言したこと。箱山の成長の側には辻がいた。下級生のころには箱山は辻から叱られることもよくあった。「辻さんは4年間よくしてもらった、3年春までは抑えても怒られていたので嫌いになったこともあった。でも、怒られているうちが華というので、自分を思ってくれると思って受け止めていた。自分が目指していたプロを考えるとまだ全然だと言われると怒られた。3年秋からは怒られなくなった」。伴走者とともに3年半を駆け抜けてきた。
大学野球では活躍できる選手もできない選手も存在する。多くの選手とともにプレーしてきた箱山は次のように分析する。「(活躍できない選手は)周りと自分を比べている気がした。劣等感を感じて、練習してもダメだと思う選手が多いような気がした、4年間の最後に成長しているかが大事なので、自分の課題を理解して練習している人が伸びる」。箱山にとって今春は苦難のシーズンとなったかもしれない。しかし、最後に成功した者が笑う。ピッチャーはチームの大黒柱だ。「ピッチャーは一番カッコ良いし目立てる。三振を取ったりピンチを抑えたりするとカッコ良くないですか?カッコ良いと思います」。それならば、やるしかない。
(写真提供:日本体育大学野球部)