【阪神3位】筑波大学・岡城快生外野手

※この記事は「スイッチヒッター2025年大学社会人野球ver」に掲載された記事を加筆修正の上、公開したものです。この場を借りて、筑波大学に感謝の意を示します。

 岡山の公立高校から大学日本代表候補にまで選出された外野手がいる。筑波大学の岡城快生である。現在のように180センチを超える体格も昔からあったわけではない。小学生や中学生では背は小さい方。パワーのない2番バッターで四球を狙うような非力な選手だった。体格が大きくなり始めたのは高校時代。それでもウェイトトレーニングを多くやっていたわけではない。大学以降はウェイトにも取り組み、トレーナーの下で食事に気をつかい体重も増えた。こうしてスイング力が高まり、走攻守そろった選手となった。岡山では驚かれることも多い。公立高校の中での岡城の出身校である岡山一宮高校は岡山城東高校などと比較して決して強豪校とはいえない。そこから中央のリーグで活躍する選手が現れたためである。そして、内野手として入部した岡城が外野手としてチームを引っ張る存在になったから。下級生中心のサマーリーグで外野手不足のために外野を守ることとなった。足や肩には自信があった。偶然の挑戦が功を奏した。初めは幅を広げるため、外野と内野の両方に取り組む予定だった。しかし、途中からは外野一本。もともとの身体能力を生かすことができる外野は最適なポジションだった。

 岡城が全国の舞台で一躍注目を浴びたのは昨年冬に松山で行われた大学日本代表の候補合宿である。50メートルの計測で全体の1位にあたる5秒82を叩き出したのである。足は速い方だという自覚はあった。しかし、合宿を通じて初めて、全国格の走力を持つことを知った。部内には同じ外野手の川上拓巳(旭川実・4年)がいた。「部内では一番じゃない、川上の方が速い、僕の足に注目されがちだが、川上の足の方が速い」。代表合宿は大きな刺激になった。上には上がいる。そんなことを実感させられた。「筑波のなかで打てて投げれて走れてというのでは上の世界には足りていない。バッティングのパワーは下から数えた方が早かった。外野手メインになるが、肩だと榊原(明治大学・榊原七斗)はびっくりした。バッティングだと仙台大の平川(=平川蓮)、近畿大の坂上(=阪上翔也)はパワーがある上で対応力がある。上手く打つなというのが印象的だった」。目標とするプロ野球の舞台に何を思うのか。「指名確実というわけではない。この秋もアピールの場になると思う。そこまで気負わずに、自分のプレーして、評価してもらったら一番。自分のことを考えずに、チームに勝ちをつけられるような行動をしているところを見てもらえたら良いかと思う」。

 高校時代の1学年10~15人の規模と比べると1学年30人近い部員がいる筑波大学野球部は巨大な組織である。最上級生がチームを離れた冬練習では紅白戦ができなかった高校とは大きく変わった。周囲の環境に恵まれて成長した。「(入部した時は)みんな知識があった。考えて野球をやって、自分のプレーに落とし込んでいた。高校の時は自分の知識がなかった。周りもめちゃくちゃ上手くて知識があるというわけではなかった。野球に対する知識がついてきた。数年前の外部コーチを務めていた東條航さんから『野球の技術は知識で決まるぞ。知ってるか知らないかで大きく変わる』と言われた。まだまだ足りない部分はあるが、知ってることが増えてプレーに生かせるようになってきた」。昨年秋からは相手投手との戦い方も洗練されてきた。「相手投手をデータ出してくれる人がいる。(注:アナリストの役割を果たすSSD)どういう球だとか球種とかそういうコースとかを頭に入れた上で打席に立つ。そこからの対応力が最近身についてきたかなと思う。そこが結果につながってきた」。そして、またラストシーズンも結果を出す。これまでの集大成として。

<人物プロフィール>

2003年6月23日、岡山県生まれ。城西大・松川玲央は小学生の時のチームメイト。中学時代は吉備中軟式野球部でプレー。高校時代は岡山一宮高校でに進学。国公立大学で高いレベルでプレーすることができる筑波大学へと進学。教員免許も取得。今春は11試合、打率.375、1本塁打。ベストナイン2回。大学日本代表候補に選出。一時期ギターにはまっていた。「さよならエレジー」を弾ける。