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【DeNA7位】Honda・坂口渉内野手(城西大学)「揺れの中で夢は育つ」

※本稿は雑誌「スイッチヒッター2025年総括号」の企画「社会人野球ルーキーたちの群像」における記事を再構成したものです。情報は当時のものとなります。取材にご協力くださった皆さまに御礼を申し上げます。(編集部)

揺れの中で夢は育つ

先輩を見て、自らを見て

 人は先人を学び、自らに生かすものである。学問においては「巨人の肩の上に立つ」という西洋の隠喩がある。それはスポーツにおいても同じことである。かつてのように先輩の言うことを全て聞くというような上下関係は終わりを迎えつつあるものの、先輩の姿を見て学ぶことの重要性に変わりはないだろう。

 社会人野球には様々な先人がいる。彼らの多くはプレッシャーのかかる場面を乗り越えてきた。それは時に、負ければ都市対抗野球大会出場を逃す予選であり、大勢の観客が訪れる都市対抗野球大会かもしれない。あるいは社会人野球以前の高校野球や大学野球でくぐり抜けてきた大舞台かもしれない。彼らは野球人生で多くのものを経験している。彼らからわずか1年で多くのことを学んだ選手がいる。Honda硬式野球部2年目の坂口渉である。「社会人1年目はプレッシャーがかかる中での先輩方がただただすごいと思わされた1年だった。プレッシャーは予選が一番感じていた。自分は予選はそれほど出ておらず、代打での出場だった。それでも、試合が始まった瞬間のベンチの声も全然違ったし、都市対抗出場が決まった後の解き放たれた感触もこれまでとは全然違った」。

平常心

 坂口が言うには社会人の先輩は「平常心」でプレーしていたという。都市対抗予選の初戦は緊張感が高まるものである。雰囲気も張りつめている。それはスターティングメンバーとして出場する選手にとってもそうであり、坂口のように代打で1打席にあっける選手にとっても同じである。緊張感は都市対抗野球大会でも続くこととなる。本戦において坂口は初戦のJFE東日本戦で7番・サードで先発出場する。多くの観客が訪れる社会人野球の一大イベントの盛り上がりは尋常ではない。「他の選手は試合前も試合中も楽しそうだった。一方で、自分は緊張していて、プレーにも緊張したところが出てしまった。それでも、先輩たちはなんなくこなしていた。試合が終わった後に先輩方から『緊張してたな』と言われた。先輩方にも、もちろん緊張はあると思う。それでも、『あそこまで行ったら楽しむだけだ』と言っていた」。そんな緊張感はプレーにも如実に現れた。ファーストへの送球で暴投を繰り返した。彼はそれを上手く表現する。「地に足がつかないとはこのことだなと。これよりプレッシャーがかかる予選だったら投げることができなかったのではないかと思うほどだった」。

山道を走る

 坂口の言葉の片隅には関西弁が残る。そして、それを時々修正しようとする。兵庫県宝塚市の出身である。コロナ世代とも言われる期間に高校野球を送った一人である。すなわち、2020年に開催される予定であった夏の甲子園が中止となり、都道府県レベルの代替大会が開催された年である。坂口の興譲館高校というと全校生徒の3分の1を占める野球部も有名であるが、どちらかと言えば女子駅伝の実績で知られているかもしれ   ない。それはさておき、かつての興譲館高校野球部は練習がとにかく厳しかった。1年次には一日中トレーニングを行うような日も決して稀ではなかった。すなわち、ランニングから始まると、次に体幹トレーニングを行う、そして、午後になると連続ティー打撃を行う班とポール間走を行う班に分かれて練習を行う。授業のある平日などではトレーニングだけを行う日もあった。野球部は山の上にグラウンドがある。山道を走っていく。自動車がスピードを飛ばして走っていく真横である。部員たちはよく言った。「怪我だけでは終わらんなあ」。しんどいからと言って簡単に辞めることができる状況ではなかった。それも今になっては忍耐力の源となっている。

守備の話

 坂口の体格は年々大きくなっている。筆者が坂口に取材で初めて出会った1年半前から現在を比較してもそれは明らかである。身長は180センチを超え、体重も100キロを超える。まさしくスラッガーといった具合である。それも過去を振り返れば意外なことかもしれない。小学校の頃の坂口と言えば守備が得意な選手であった。中学校までは決して大柄ではなかった。ところが、高校から成長期が訪れることとなる。守備への得意な意識がなくなったのもその頃である。高校入学後、ノックを行う機会があった。守備の機会からしばらく離れていたこともあり、久しぶりの打球だった。怖さを覚え、思ったような守備ができず、基本的な守備動作がおぼつかなくなっていった。そして、不自然な形の守備が増えていった。社会人野球以降はコーチの指導の下、守備を基礎から鍛えなおしている。「基本的なことがおろそかになっていた。守備は取れるようになってきた。後は投げる方の不安だなくなれば楽かなと思っている。狙ったところには投げられるようになってきたが、相手が取りやすいボールを投げたいと思っている」。思わず「上手い」と口に出してしまいそうな名手に囲まれて、技を磨いている。

2部から1部へ

 首都大学野球リーグは16校によって構成されている。1部が6校、2部が10校である。城西大学野球部というと今でこそ1部の地位を守っているが、かつては2部に在籍した期間も長かった。2016年秋に明星大学に敗れ、2部に降格して以降は12季にわたって2部に残留した。特に2020年代以降は新型コロナウイルスの流行などにともない入れ替え戦の実施が行われないなどの不幸に苛まれながらも、2部で確固たる地位を築いていた。2部は1部とはいくぶん雰囲気が異なる。それは両方でプレーした坂口だからこそ分かる。「もちろんどのチームも必死で戦っている。それでも一部と違って配信もほとんどないし、きちんとした大会であることは間違いないが、雰囲気的にはオープン戦に近い。一部に上がった最初に試合が日体大との試合でサードを守っていた。その時は周りの声が聞こえず、日体はすごいなと思った」。坂口が3年次の春リーグに城西大はついに1部に昇格することとなった。「自分たちも先輩たちに一部に上げてもらった側。一部でプレーできることにこしたことはない。大学では色々楽しいこともあるが、必死に一部を死守してほしい。そして、欲を言えば優勝してほしい」。

キャプテン

 4年次、坂口はキャプテンに就任する。当時の坂口にとっては意外な選択であったという。「そんなにキャプテンシーがあったわけではない。ある程度、試合の経験があった人からキャプテンを出すことになり自分と恋名(=恋田孝一朗、現・エイジェック硬式    野球部)のどっちかがやるかという感じになった。そこで自分でいきますと言った。自分はコツコツやるタイプだった。ウェイトトレーニングもそうで、自分が上で野球をやるために体重も増やしていた。体づくりから技術的なところまでコツコツと取り組んでいたと思う」。

 それはプロになりたいという大きな目標があったからだ。高校野球をプレーした頃からプロ野球選手の夢を見る。そして、同時に大学野球という世界を知る。その世界はレベルが高いことも知る。大学野球までやってくればその先には社会人野球という世界がある。その世界もレベルが高いことを改めて今感じている。ステージが上がっていくにつれて目標もだんだんと上がっていく。大学時代には時には目標にとらわれたこともあった。好成績を残していると全体の成績が頭をよぎるものである。そんな過去の経験を悔やむこともある。

入れ替え戦を乗り越えて

 大学野球における「戦国」の名というと東都大学野球リーグが「戦国東都」と呼ばれるように、ある意味では専売特許のようなものであったかもしれない。もっとも、首都大学野球リーグも「戦国首都」に突入しつつある。直近4季の優勝大学は筑波大学、東海大学、日本体育大学、帝京大学といずれも異なる。そして、リーグ戦で完全優勝というのは珍しく、最後まで星一つを争う戦いになることが多い。それは入れ替え戦も同じだ。坂口はそのことをよく知っている。彼がキャプテンとなった4年春。リーグ戦では初戦の東海大戦ではタイブレークの末、惜敗した。その時、走者の坂口は飛び出した。「そこから負けた。自分の責任だと思っていた」。最下位となって迎えた入れ替え戦。武蔵大との3試合は熾烈だった。初戦も例に漏れずタイブレークとなると、延長10回に1点を勝ち越した城西大が6-5で辛勝。一方、2戦目は中盤以降に差をつけられ、1-5で敗れ、試合は第三戦までもつれこむ。3戦目、初回に坂口の適時打であげた虎の子の1点を守り抜き、なんとか1部の座を守った。「1部にいるチームからすると丁寧に行くことが多い。接戦も多くなる」。リーグ戦と入れ替え戦の難しさはよく分かった。

社会人で学ぶ

 都市対抗野球大会でのプレーが「地に足がつかない」プレーであったことは先に述べた通りである。それでも、坂口は後半戦にかけて日に日に出番を増やしていくことになる。初戦のミキハウス戦では8番サードで先発出場し、2安打の活躍。続く三菱自動車岡崎戦でも先発出場を続けた。しかし、レギュラーを完全に獲得したとまでは言えない。「まだレギュラーとは言えない。一年間試合に出続けることで、自分の役割を果たして、チームに貢献できるようになりたいと思っている。レギュラーはチームに貢献し続ける人だと思う、そういう面ではまだレギュラーになることはできていない」。終盤には自らの役割も明確になってきた。持ち味はバッティング。他の分野は他にも実力のある選手が多い。いまだクリーンナップを任されているわけではないものの、思い切りよくスイングをかけ、長打を放つことが武器だ。パワーは負けていない。「技術面では確実性が課題だと感じている。逃してしまうことが多いように思う。自分のものにしたい」。都市対抗予選は気づいたらもうやってくる。緊張感の高まりを肌で感じた。けれども、もう二回目だ。結果を残すことができる自信は確かにある。

どんな夢を追いかけるか

 昨年、2025年ドラフトは「城西イヤー」となったといっても過言ではない。読売ジャイアンツドラフト1位で城西大学OBで社会人2年目の竹丸和幸(鷺宮製作所)が指名を受ける。そして、城西大からは東京ヤクルトスワローズ2位で松川玲央、広島東洋カープ育成1位で小林結太がそれぞれ指名を受けた。大学生の2人は関西高校コンビだ。坂口の1学年上、そして1学年下の選手が次々とプロ野球の舞台へと進んだ。「本当にすごいなと思っていた。良い刺激になって、負けずに頑張ろうと思った」。社会人2年目になろうとも、高校時代から抱いたプロ野球の舞台を目指すという夢は変わっていない。

 春になり、実戦が始まろうとしている。実戦には不安はある。しかし、それは大きな結果を残すことができる期待の裏返しでもある。都市対抗予選となれば、去年以上の緊張がかかるかもしれない。もっとも、それは昨年以上に安定してプレーすることができる期待の副作用である。「将来は三冠王を取ることができるようなバッターになりたい。プロに行っても、社会人野球でも良いバッターになりたいと思う気持ちが大きい」。遠い夢を追っている。けれど、その背中は見えている。

(写真はHonda硬式野球部提供)

<人物プロフィール>

2002年12月6日、兵庫県宝塚市生まれ。中学時代は宝塚ボーイズでプレー。興譲館高校に進学。3年夏の代替大会では2回戦で西大寺高校に逆転負け。城西大学では4番サードを主に務める。4年次にはキャプテン。春季リーグ戦では11試合、14安打、4本塁打、打率.326。秋季リーグ戦では13試合、12安打、1本塁打、打率.235。Hondaでは都市対抗野球大会で先発出場。社会人野球日本選手権では2試合に先発出場。最近は自分の時間を大事にしている。

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