※本稿は雑誌「東京六大学野球図鑑2024年秋号」に掲載した記事を再構成したものです。情報は当時のものです。取材にご協力くださった皆さまに御礼を申し上げます。
荒波へと笑顔で繰り出す ~中津大和の笑ったり笑ったり~
夢はプロ野球選手になること。そんな夢を多くの野球少年が抱く。それは法政大学野球部の中津大和にとっても同じだ。プロ野球選手になって1番を打ちたい。その理由は?「1番はカッコ良いから。打席が多いのでそこでいっぱい打てれば注目される。思考は単純です、生まれた時から」。中津は快活に答える。では、プロ野球選手以外の夢ならば?そんな予想外の答えにも中津はすぐに返す。「船に乗って釣りにいきたい。小さいころから好き。大きな魚を釣りたい。マグロを釣ってみたい」。中津の出身の石川県は日本海に面する。日本海は季節風の影響で荒波が船を揺さぶる。「船酔いしながら大きなものを釣りあげたい」。笑顔で語る。
春は下位に沈んだ法政大学野球部であるが、中津は最高の結果を残した。15安打と打率.319は大学入学以降最高の成績だった。かつては本職ではなかった外野守備も板についてきた。もともと内野手として入部した中津はチームの内野手が飽和事情であったことから、当時は助監督であった現監督の大島公一により外野を守ることを提案される。はじめのころは守備のミスも目立った。「めっちゃやらかしました、ずっと内野守ってたので外野の距離感が難しい、外野は後ろそらしたら誰もいないのでその緊張感に負けていた」。本音で語るのであれば「ずっとショートを守ってきたのでショートを守りたい気持ちはある」。それでも、チームのために戦う。「(センターの守備では)自分の足を生かして少しでも足を生かして飛びついていきたい」。
打撃も3年半で大きく成長した。入部した際には高いレベルについていくことが難しかった。「自分は甲子園にも出てなかったので自分はどのレベルはどうなのかなと思っていた。レベルの高さについていくのに必死だった」。それでも2年次にはリーグ戦の舞台に抜擢される。最初は緊張感に襲われた。周りの大勢の観客。2年生ながら起用されているということ。結果を出さなければ試合に出ていない上級生に対して失礼だと思ったこと。最初のリーグ戦が終わってからはいくぶん緊張もほぐれてきた。技術面での成長として著しいのはパワーであろう。2年秋には一度も放つことのできなかったホームランを3年春には2本、3年秋には1本、4年春には2本も放つ。通算で5本もホームランを放った秘訣は日々のウェイトトレーニングにあるという。本当のところはあまり好きではないというのはここだけの話であるが…。
自分のプレーのここを見てほしいというポイントはあるか?全ての選手に共通して筆者が尋ねる質問であり、答えに苦戦を強いられる選手も多い。しかし、中津に迷いはない。注目ポイントは「中津スマイル」。見る人を元気にすることができる笑顔がアピールポイントのようだ。どうしてそれほどすらすらと答えが出てくるのだろうか。中津には驚かされるばかりである。そんな快活な一人の大学生が神宮の舞台となるとリーグを代表するバッターとなるのだからさらに驚く。
最後の秋の目標はもちろん優勝。守備でエラーをすること。打席で凡退すること。思うような結果が出ないこと。厳しい練習に取り組んできたこと。中津はそんな荒波のような大学野球の海を笑顔で前に進んできた。それまでの海がどんなに厳しくとも最後に釣り上げる大きな獲物の味はきっと絶品だ。

