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【日本ハム育成5位】慶應義塾大学・今津慶介主将「目の前に情熱を捧げて」

※本稿は雑誌「スイッチヒッター2025年秋号」における企画「スイッチヒッター特集」の記事を再構成したものです。情報は当時のものとなります。取材にご協力くださった皆様に御礼を申し上げます。(編集部)

目の前に情熱を捧げて

旭川、旭川動物園、旭川東高校

 今津慶介が東京六大学野球で打率3割以上を残しながら夢は内閣総理大臣と公言していることを理解するためには彼の出自を理解しなくてはならない。まず、祖父は自由民主党で衆議院議員を務めた今津寛である。父はかつて中央大学準硬式野球部でプレーした旭川市長の今津寛介。叔父は北海道議会議員を務める今津寛史。政治家一家なのである。そして、兄は筑波大学野球部でプレーした今津寛春である。旭川の地で政治と野球に育ったのである。旭川東高校でプレーしていた兄の姿を追いかけて自身も同じ高校に入学する。しかし、そこに思い描いていたような、今津の言葉を借りれば青春そのものの全校応援はなかった。コロナ禍が日本列島を襲ったのである。コロナの打撃を受けたのは野球だけではなかった。旭山動物園を始めとする娯楽施設も大きな被害を受けた。閑散とした動物園を救うべく今津は高校の仲間の一人とともにクラウドファンディングを始める。そして、目標を大きく上回る1000万円超の寄付金を集めたことは記憶に新しい。もちろん高校時代の今津は野球に夢中になっていた。そして、また同時にプロジェクトにも夢中になっていた。目の前のことに夢中になること。それは今も変わらない。

高校野球と大学野球

 高校野球と大学野球にはいくつかの違いがある。もっとも、今津が当初抱いていた大学野球のイメージは実際とは少々異なった。「それまで大学野球は見たことがなかった。高校と違ってタイトル争いや個人プレーが中心のイメージがあったが、来たら違った。どちらかといえば北海道はその色が強く、優勝というよりも個人の成績が重視されることがあるかもしれない。六大学や首都はチームがどうやって勝つか、そのためにどうやって成績を残すかを考えることが多い。負けたら終わりということが毎日来る感じだった」。大学野球の「雰囲気」の違いは練習会に参加した時から感じるものがあった。「慶應は北海道の田舎に住んでいるとなかなかイメージがつかない。立ち振るまいに憧れた。高校生で練習参加して緊張している自分に困っていることはないかと話しかけてくれ、積極的に教えてくれた」。大学ではポジションも何度も変わった。立つ打席も変わった。それは大学野球で厳しい環境に置かれたからでもある。当初はBチームでの中心がプレーであった。なんとかAチームに絡もうと自らを変えていった。そして、監督である堀井哲也など指導者との出会いもあった。そして、今津は少しずつ変わっていく。

ポジションは変わる、打席も変わる

 今津が立つ打席はかなり複雑な変遷をたどっている。小学5年生までは右、そしてそこからは左に転向する。中学では両打ちとなる。理由はかっこいいから。「両打ちは希少。当時の自分は体も小さくて、何か自分にアイデンティティを持たせたかった」。そして、高校3年生でふたたび左に専念する。「地区にいたピッチャーがほとんど右だった。唯一いた左ピッチャーも左の良さを生かしてくるピッチャーではなかった。右打席に立つ必要性がなくなった」。そして、大学でも左打席に立ち続けた。「1年生のときはBにいたので良い左ピッチャーと対戦することは少なく、打ててしまうことが多かった」。ふたたび両打ちを始めたのは2年の夏の頃のことである。上のレベルで戦うにあたっては左対左は一つの課題になった。「なんとかしてリーグ戦に絡みたいと思って両打ちにチャレンジした、自分がどこで割を出せるかと考えた」。二遊間を守り続けた今津が外野を守るようになったのも同じ理由である。もとも

と右打席に立つ期間が長く、右の方がボールを見やすいと感じることもあった。しかし、次第に左も洗練されてきた。そして、レベルの高いスイッチヒッターになったというわけである。

右打席に入るか、左打席に入るか

 今津がふたたび左打席に専念したのは今年の春のことだった。もっとも、それは両打ちを完全に放棄したことを意味するのではない。左投手に対して左打席でもある程度、対応することができるようになったためである。実戦では当初は左投手相手に苦戦を強いられる場面も見受けられた。「近めのスライダーを引っ張りにいっていたので、アウトローに投げられると打てなかった。狙うと打てたが、左の打率は良くなかった。(監督の堀井からは)勇気を出して逆方向を狙ってみようと言われた。逆方向を狙う意識と引っ張る意識を持って、目線を変えたら、シーズン途中からは見えるようになった」。そして、3割以上の高打率を残した。もっとも、秋リーグでは右打席に立つ可能性を示唆する。ポイントとなるのは明治のエースである左投手の毛利海大である。右投手とは誰であろうと互角に戦うことができるようになった。しかし、毛利はレベルが高い。「一般論として左対左の方が厳しく、右の方がいい。自分の右打者としての能力がたどり着く次第だと思う」。右打席に立つか左打席に立つかは決して単純の問題ではない。左打者の腕の角度、右打者に対して強いチェンジアップを持っているか、自身の右のレベルといった要素が絡み合う。そして、それらを総合的に考慮した上で決定する

チームにスイッチがいる意味

 堀井からは打線に両打ちがいるメリットについて伝えられたことがある。「右がたとえ完成しなくても、1番バッターに右がいるだけでバッテリーも苦労する。球の特徴を伝えられる。数字が出なくても貢献できる。右をやることでチームのためになることが、右をやるモチベーションになっている。打てるのがベストだが、打てなくても何かしらの形で貢献ができるならやる意味があると思う」。堀井とは入部当時から両打ちについて話し合うことがよくあった。自らの意向を伝えると、監督から求める選手について伝えられる。右ピッチャーのどのボールを狙うべきか、どの方向へと打球を運ぶか、カードごとのピッチャーの対策、チームの流れなどその内容は多岐にわたる。それらを経て、自らの方針を変更し、技術の向上をはかってきた。両打ちには先の見えない不透明さはある。「努力量で右の成長は自分でも分からない。もしかしたら左ピッチャーを苦にしないくらいの左バッターになるかもしれないし、そこに達しない可能性もある。でも、可能性がある以上はやってみたい。選手としてのスケールを広げるし、好奇心がある」。チームとしてはメリットがある。そして、個人としても関心がある。だから両打ちを続ける。

スイッチを続けるか

 両打ちを人に勧めるか。今津は答える。「かっこいいはかっこいいと思う。僕もかっこいいからやった。だから本人がカッコいいと思うならトライするのはアリだと思う。(メンバー表でも)右打ちは何も書いていなくて、左打ちは三角、両打は四角と書いてあるので、目立つといえば目立つ。それぞれの何かしらの理由があれば挑戦してみれば良いと思う。右でも左でも打った人が注目される、打てる選択肢として選び続ける方がいい」。そして、スイッチヒッターはどんな未来を描き出すのか。「野球は日本一を目指す、その上でプロに行けたら最高。将来的には政治の道になって内閣総理大臣になりたい。なりたいというかならないといけない。世間は二世とか三世は野球でも政治でも好きではない。でも、継がないといけないのではなく、やりたいという意志があるからやる。興味があるから、一回はやってみたいと思う。僕は祖父が目指していた大臣になって、国を動かす人間になりたい。周りに左右されないで、思ったことを言えない風潮にはなっているが、自分の思ったことを伝えられる政治家になりたい」。プロ野球選手になることも内閣総理大臣になることも壮大な目標である。しかし、それは突然やってくるものではない。思えば、今津が取り組んできた旭山動物園のクラウドファンディングも野球人生における両打ちであろうと目の前の事物に情熱をそそぎ取り組んできた結果に過ぎない。そして、その情熱がどのような形で実現するかは単なる予測不可能な将来の出来事に過ぎないのである。

(写真は慶應義塾大学野球部提供)

<人物プロフィール>

2004年11月3日生まれ。旭川東高校出身、4年。今春、初めて規定打席に到達して打率3割5分8厘、3本塁打と結果を残し、首位打者争いを繰り広げた。趣味は飲み会。様々な一面を見ることができるから色々な人と話せることが好きだという。実家が酒屋でビールや日本酒などを好む。本人曰くプライベートでは割とはっちゃけるタイプ。最近はコンプライアンスが厳しいと笑う。

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