※本稿は雑誌「スイッチヒッター2024年総括号」の企画「社会人野球ルーキーたちの群像」の記事を再構成したものです。情報は当時のものとなります。取材にご協力くださった皆様に御礼を申し上げます。(編集部)
君のカーブは美しい
カーブ=遊び心
カーブ。その球種は初めて誕生した変化球とも言われる。スローカーブ、ナックルカーブ、パワーカーブ、縦カーブ、ドロップカーブ。その種類を挙げ始めると、枚挙にいとまがない。数年前、東京六大学野球で46回の優勝を誇る法政大学野球部のエースにカーブを得意とするピッチャーがいた。尾崎完太である。現在は強豪社会人チームであるセガサミーでプレーしている。尾崎にとってカーブとはどのような存在なのだろうか。「カウントを取りたいときに見逃しを取ることができる。真っすぐを張っているバッターは泳いでゴロやフライ、空振りも取れる」。そんな便利な球である。ピッチャーとして成長していく中学生のころ。滋賀学園高校でライバルと切磋琢磨した高校生のころ。日本を代表するリーグで苦戦を強いられる時期がありながらも上位を目指していく大学生のころ。そして、現在、社会人野球でプレーしているころ。尾崎の姿はよく変わった。しかし、その側には常にカーブがあった。大きく浮き上がり、打者の手元で落ちていく。カーブは美しい。そして、尾崎の野球人生を象徴する球のように思えてならない。

「父が野球好きで野球を始めた。自分も最初から野球は好きだった。父とキャッチボールをしたかった。野球がしたいというよりかは父とキャッチボールをしたい気持ちが強かった」。そんな幼き野球少年が変化球を初めて覚えたのは中学1年生のころであった。もちろんそれはカーブ。きっかけは意外なものだった。「中学のシニアとは別に友達とテニスボール野球をやっていた。狭い球場のような野球ができるような場所で遊んでいた。カーブはそのときに覚えた。テニスボールで真っすぐを思いっきり投げる。そのときにカーブをつかんだ」。中学生ならではの遊び心である。しかし、この時覚えた球種がほとんどの野球人がプレーすることは叶わない社会人野 球でも武器となっているのだが運命とは不思議なものである。尾崎にとってカーブとは投球のアクセントのようなものでもあり、決め球でもある。ストレートの投球割合は平均的な投手を大きく超える70%。そして、カーブは20%ほどである。残りの球種が10%ほどである。遊び心でのピッチング。その意味は中学時代と現在では少し変わったかもしれない。しかし、遊び心を持つというその根本は現在でも変わらない。そして未来になっても変わらないだろう。
緊張する舞台でも
セガサミー野球場は八王子の戸吹と呼ばれる場所にある。京王八王子駅からもバスで30分以上はかかるだろう。球場は自然に囲まれた山の上にある。11月となると夕方は冷え込む。取材は午後4時から。練習終わりの尾崎は椅子に腰かける。この時間になると陽はもう沈みそうになる。尾崎の左 頬にも厳しい西日が当たっている。そして、尾崎は大学時代の思い出を淡々と語り始める。
「初めての神宮のマウンドは立教戦だった。有名人ばかりでプロ野球に入ったような感覚だった。山田健太(現・日本生命)のようなみんなが知っている選手ばかりで、緊張しかなかった。震えていた。それからもずっと緊張はしていた。それでも、緊張のほぐし方は自分でも身につけていった」。その方法もまた面白い。尾崎は「中二病くさいのですけど」と笑う。「1回からマウンドに上がる。すると、4~5回にばたばたしはじめる。そこで、『ピッチャー交代モイネロ』と自分の中で言っていた。他にも3回~5回までは今永とやっていた。ゲーム感覚の遊び心のようなものだった。モイネロはカーブも真っすぐもすごい、自分の心をモイネロと思った瞬間に打ち取れると思ってる」。リバン・モイネロ。福岡ソフトバンクホークスに所属するキューバ出身の左投手は決して大柄ではないが、威力のある直球と変化量の大きいカーブを投げる。「モイネロのカーブは真っすぐと一緒。ブレーキがすごい。踏み込み足がついた瞬間のポンとなるブレーキがすごい」。
1年春からリーグ戦の舞台を経験した尾崎であるが、転機は3年春に訪れる。2022年というと明治大学が連覇を果たした年である。そして、尾崎は3年春にその明治大学と対戦することとなる。結果は6回無失点。尾崎のレベルがワンランク上がった瞬間であった。「明治を抑えたぞという心の強さ、いろんなことを考えることができるようになった。自分から離れたことであるバッターへの配球やキャッチャーのことなど視野が広がった」。その秋には第一先発を任されるようになる。名実ともに六大学のエースの階段を登っていくように思えた。
「行けるっしょ」を胸に
3年秋、土曜日の先発を任された尾崎。調子は悪くなかった。それでも結果は出なかった。春に1点台であった防御率は5点台まで落ち込んだ。その原因を一言で表すのであれば重圧に負けたから。結果を残した3年春も緊張した。そして、責任が伴う秋はさらに責任感が重くなった。打者に対して立ち向かう気持ちが弱くなっていた。そんな悔しさをバネに冬はよく走った。そして、走った。「3年秋がボロボロで何で第一先発が自分なんやと周りからも思われていたと思う。変わろうと思って冬は死ぬほど練習した」。ラストイヤーの春、尾崎はふたたび開幕戦の先発を任される。相手は慶應義塾大学。もちろんこれまでと同じようにプレッシャーはかかっていた。尾崎は確かに変わっていた。7回無失点で試合を支配する。
大学を通してもカーブが大切な変化球であったことに変わりはない。「自分と言えばカーブと言ってもらえるような印象をつけることができたと思う。真ん中に投げとけば打たれないと思っていた。カーブに投げ分けはない。引っかかってワンバウンドして振ってくれたらラッキー。とりあえずカーブを投げるぞという感じで投げていた」。配球をめぐってキャッチャーの吉安遼哉とはコミュニケーションをよくとったことも今となっては良い思い出だ。「吉安とはたわいのないことでも良く喋った。『尾崎さんなら行けるっしょ』と言われたことは印象的だった。自分が一生懸命、対戦するバッターの説明を自分がしているとき、『何でも行けるっしょ』と言われた」。一見、軽い受け答えのようにも感じる。しかし、吉安の入念な準備があるからこそそのような言葉が生まれているのだ。準備では入念には。試合では軽く。そんな尾崎ー吉安バッテリーの息が合い、春は好成績を残す。
その秋、尾崎はドラフト会議にて指名漏れを経験する。「スカウトに視察してもらった高校の時からプロに行きたいと思っていた。(指名される確率は)五分五分やと思ってた。悔しかった。後ろで待ってくれていた4年生、家族の人も期待してくれていた。そこに申し訳ない気持ち。一週間か二週間ほどは悔しさがとれなかったが、二年後という気持ちになった」。指名漏れを通して課題も浮き彫りになった。「自分の中では一年間投げ切れないことが目立ってしまった。春先はいいけれど、冬にかけて悪くなっていく。一年間投げ切る力が長かった。人間性なども含めて、プロ野球の世界にはまだ達していなかったなと思う」。
ピッチクロック事件
社会人野球の舞台になると練習も変わる。大学時代には課題とされていた体力も次第についていく。周囲の環境も大学とは異なる。大学は同じ野球部にはせいぜい数歳程度しか違わない部員が在籍している。しかし、社会人野球のレジェンドというと30を超える選手も多い。ルーキーにとっては10歳以上年上の先輩とコミュニケーションを取ることとなる。それは有意義なことでもある。一方で、慣れない環境ともいえる。一年目は環境に慣れる年。尾崎もそう考えていた。
試合でも対戦するバッターのレベルは一段階上がる。「空振りは取れない。なので、カウントを取れる方法を探さないといけない。それでも、稼いでいるときにホームランを打たれてしまうこともあり、レベルの高さを痛感。同時にここで抑えられたらプロという自信にもなった」。社会人野球で三振を取ることは大学野球以上に難しい。明らかなボール球は簡単に見逃されてしまうからだ。都市対抗野球大会の予選では一球の怖さを覚えた。1回戦のHonda戦では1点リードの4回にレフトへのホームランを浴びる。結果的にそれが決勝打となる。「力感のない真っすぐでファールを積み重ねて自分の有利な方向に進める。そこからカーブや真っすぐで仕留 めるプランで行きたかった」。試行錯誤を繰り返している。
都市対抗野球大会には補強選手と呼ばれる制度がある。本戦出場を果たしたチームは同一地区の予選敗退チームから最大3名、チームの一員としてともに戦うことができるシステムである。都市対抗予選で抜群の結果を残した選手、都市対抗の舞台をよく知るベテラン、一芸に秀でた選手など様々な選手が指名される。尾崎の所属するセガサミーは予選で敗退した。そこで、第四代表として勝ち上がったJR東日本が尾崎を補強選手として指名したのであった。尾崎は当時を振り返る。「JRから補強がされて、ああそうなんやと思った。都市対抗に出れるとは思わなかった。補強制度もよく分からず、練習生の感覚だった。練習もきつくて、都市対抗前の練習ではなかった。ランニングや投げ込みも多くてしんどかった」。
2024年7月20日。JR東日本は都市対抗野球大会1回戦で西濃運輸と対戦していた。この試合での登板はないだろう。あったとしても2戦目か3戦目だろう。尾崎にはそんな考えがあった。試合は序盤、JR東日本有利に進む。5回と7回に1点を得点し、先発の西田光汰は6回無失点と抜群のピッチングを見せる。この先も1イニングくらいは投げるだろう。そう考えていた矢先だった。リリーフのピッチャーとして尾崎の名前が呼ばれる。驚き、急いでマウンドに向かう。東京ドームには多くの観客が押し寄せていた。「人が多かったので下を向いていた、それでも目に入って緊張した」。そして、ピッチングを始める。
先頭の4番・小中健蔵との対戦。フルカウントまで進んだ6球目のことだった。尾崎は投球をしなかった。しかし、球審はボールを宣告する。バッターは一塁へと進む。これは日本野球連盟が2023年より導入した「スピードアップ特別規定」の導入によるものだった。都市対抗でもピッチクロックが表示され、走者がいない場合は12秒以内、走者がいる場合には20秒以内に投球しなければボールが宣告される。ピッチクロックは尾崎の頭にも当然あった。「キャッチャーのサインが見えなかった。見えない状態でどうしようかと。当てずっぽで投げるのもヤバいのでとりあえずプレートを外したらピッチクロックの時間を超えていた」。尾崎は明らかに動揺していた。次のバッターにはいつも以上のペースで投げていた。投げ急いだ結果、ふたたび四球を出す。無死一・二塁のピンチを招く。そして、続くバッターはバントを試みる。打球はサード側に転がる。フォースプレーのため、尾崎はサードで二塁走者をアウトに仕留めようとする。しかし、サードには誰も入っていない。今度はファーストへの送球を試み、回転する。無情なことに尾崎のファーストへの送球は一塁手の頭を大きく超える暴投になってしまう。1点を返され、アウトを1つも取ることができないまま降板する。守備の連携が上手くとれていなかった。補強という制度は都市対抗を勝ち上がるためには重要な仕組みであるが、同時に短期間の練習の上で本戦に臨まなくてはならないため、リスクをはらむ。
そんな苦い思い出を尾崎は淡々と語る。取材開始から30分以上が過ぎ、グラウンドで残って練習していた選手の姿も完全になくなっていた。日は沈み、尾崎の左頬を照らしていた厳しい西日もすでに見えなくなっている。
あの日の遊び心を忘れずに
これまでのリーグ戦が中心の大学野球と対照的なトーナメント戦を中心とする社会人野球の舞台。調整の難しさや苦い経験をしながらも尾崎は一歩ずつ歩みを進めている。「U23の候補合宿を含めて一年間充実していた。冬にかけていくにつれて適当にやっていた課題や大学を終えてから社会人一年間を通して出た直さないといけない部分がたくさん見えてきた」。来年はチームに久しぶりの都市対抗出場をもたらすこと。そして、ドラフト1位で指名されること。そんな夢がある。
結局、尾崎にとってカーブはなぜ大切だったのか。カットボールやツーシームといった打者の手元で小さく曲がる球が現代野球の主流となっても、大きく縦に曲がるカーブの軌道は美しい。カーブは自分でも美しいと思うのか?「カーブの軌道は美しいと思う。縦のスピンと落ち幅が大きいこと。何今の?となるところとなるところがカーブの魅力」。しかし、リリースが少しでも遅れるとワンバウンドする。少しでも早くなると高めに浮く。繊細で危険な球である。「カーブは難しくてみんなが投げることはできない。腕が緩んでいるピッチャーだったらいるが、ポンとカーブを投げている人は少ないし、それを軸にしている人は少ない。カーブを軸にできるようなピッチャーになったら上に行けると思う。野球人生において必要な球だと思う」。今はカーブに加えて武器を追加するためにチェンジアップを習得している。習得は難しいが、根気強く習得しており、良い方向に向かっているという。ストレートとカーブに加えて色の違うチェンジアップが加わり、尾崎の投球の味は変わる。
尾崎は10年後の自らの姿を想像する。その時もまだ投げ続けていたい。どんなピッチャーになっているのだろうか。「サイドスローで投げてますかね」。そう冗談交じりに言う。それではカーブを投げるのは難しいのではないか。オリックスの比嘉幹貴のようにサイドでもカーブを投げるピッチャーはいる。尾崎はそう返す。10年後プレーを続けていることはどこかで必ず壁にぶつかっている。だからこそ、遊び心をもって様々なことを試し続けたい。少年の日に抱いた野球の遊び心は大学、社会人とカテゴリーが上がったとしても変わることはない。その姿は純真な探究者である。社会人一年目の門出の年。航海はまだ始まったばかりだ。
(写真は全て本人提供)
<経歴>
2001年4月20日、大阪府吹田市生まれ。中学時代は豊中シニアでプレー。滋賀学園高校ではエースとして活躍。大学では1年春からリーグ戦出場。4年春には自己最高の4勝、防御率1.28をマーク。大学通算8勝6敗、防御率3.21。セガサミーでは補強選手として都市対抗に出場し、1回1被安打2四球。
<チーム紹介>
特徴的な応援スタイルでも知られる東京の強豪社会人。練習グラウンドは東京都八王子市。都市対抗出場14回、社会人野球日本選手権出場6回。主なOBに宮崎敏郎(DeNA)、森脇亮介(西武)など。現在の監督は西田真二(取材当時)。今季は都市対抗、日本選手権ともに予選敗退。ドラフトでは荘司宏太がヤクルトから3位指名。

