※本稿は雑誌「スイッチヒッター2025年春号」の企画「アンダースロー特集」の記事を再構成したものです。情報は当時のものとなります。取材にご協力くださった皆様に御礼を申し上げます。(編集部)
サブマリンのスター候補
市原に生まれ育って
千葉市の中央部には人口25万人ほどの市原市がある。東京湾に面し、臨海部は工業地帯として発展していることでも知られている。野球の話となると、市原運動緑地公園内にあるゼットエーボールパークは高校野球や大学野球の大会会場として、よく利用されている。神奈川大学・右のアンダースローである松平快聖は市原市、それもゼットエーボールパークのすぐ側で生まれ育った。そして、高校時代にいたるまでゼットエーボールパークで数々の戦いを繰り広げることとなる。野球を始めたのは小学3年生の頃。「家系はバスケ一家だった。バスケはそこまで好きだはなかった。野球は祖父がやっていた。野球をやってみないかという感じでそれまでは遊び程度だった。小学生の同級生に誘われた、それをきっかけに野球を始めた。野球は色んなことをやる。打って走って守るのが楽しかった」。アンダースローの選手への取材を続けてから、彼らが幼少期に身体能力が高かったのか否かということが気になり始めた。松平にも同じようにそんな質問をぶつける。「人並みには運動神経はある。サッカーは苦手だが、バレーボールや球技は好き。バスケットボールは遊び程度にやるのは好き」。どうやら跳躍のあるスポーツは得意のようである。
その決断は単純か
さて、松平がアンダースローに転向したのはいつのことであろうか。アンダースローに転向した多くの選手へと取材をしていると、彼らの多くは高校時代あるいは大学時代に転向を決意している。しかし、松平は違う。中学2年の冬、ちょうど中学3年生になろうとする時期に転向を決断したのである。もともとはスリークォーターであった。「中学のときの監督の助言だった。チームに変則がいない。自分の体の回転の軸を見ると、横回転の方が得意だった。サイドに変えて、徐々に手を下げていった結果、アンダースローになった」。市原シニアの加藤和昭の助言がきっかけとなった。「自分は上投げのセンスがなかった。当時は身長もなかった」。転向は決して、望む決断ではなかった。「オーバースローでやりたいという思いが強かった。そのときの甲子園を見ると、憧れていたところはみんなオーバースローで速い球を投げていた。そのようになりたいとピッチャーを始めた。アンダースローはやりたくない印象が強かった」。当時、松平が見ていた甲子園というと、大阪桐蔭の柿木蓮(元・日本ハムファイターズ)、金足農業の吉田輝星(現・オリックスバファローズ)のように上投げのピッチャーばかりだった。松平の心境を理解することは容易にできるだろう。
技術を学んで
アンダースローは難しかった。上手くは投げられなかった。初めての目線からのピッチングでコツをつかむことはできない。練習試合となるとフォアボールを連発した。つかむのには時間がかかった。「なんでこんな投げ方してるんだろうなと思いながら投げた。不思議な感覚だった。今までやってきてふれたことがない感覚になった」。一番はコントロールが難しい。それは多くのアンダースローに挑戦した投手が語ることである。状況が好転するまでにはしばらく時間がかかる。しかし、時間が立てば、状況が良くなることも多くのアンダースローが示してきたことでもある。松平もその例に漏れず、しばらくするとピッチングも安定するようになる。中学3年の夏くらいのころであろうか。アンダースローを始めてから6カ月ほどが経った頃、中学の最後の大会では安定感のあるピッチングができるようになったという。アンダースローになってからは思わぬ変化もあった。それまでは170センチだった身長が成長期が訪れたのか180センチ中盤まで伸びたのである。試合では相手から驚かれる。なぜ、これほど身長が高いのにも関わらずアンダースローで投げているのだろうか。しかし、松平はこの投げ方から離れることはなかった。アンダースローに決めたのである。「抑えられている事実がある。憧れは捨てて、自分の生きる道を見つけた。これからやっていく中で活躍できる道がそこなのかなと思った」。松平もアンダースローによって野球人生が変わった一人である。
課題を克服する
高校、大学とカテゴリーが上がって行く中で松平は確かな成長を遂げてきた。そして、その練習の レベルはカテゴリーが上がるにつれて進化した。「下半身の動き方だったり、柔軟性を強化すること。おもりをもって投球フォームを繰り返しつくることで、フォームの再現性を高める練習をしている。高校のときは特殊なことはやっていなかった。大学では考える時間が増えていった。自分が成長できる方法を考えた結果そういう動きを多くやるようになった」。高校時代は110キロだった球速が130キロまで向上した。そして、球速は今でも伸びている。一つずつ課題を解決している。「身長がある分、前につんのめりやすいので、インステップになることが多い。解決法はある。大学の入りたての頃はなんで上手くいかないんだろうと思った。インステップになるとひっかけ癖がある、軸で立つことで、後ろに重心が行き、下半身の後ろの筋肉を多く使うイメージで投げている」。
先頭を走る
かつて亜細亜大学でプレーする左のアンダースローの安井勇勇心は松平についてこう語った。「スターですよね。なんでそんな球速いんですかと聞きたい」。最近の松平の活躍を見ているとスターという言葉はよく似合うような気がする。昨秋は神奈川大学野球リーグで4勝、防御率1点台とまさにエースの活躍を見せた。12月に松山で開催された大学日本代表候補合宿にも選出された。多くのアンダースローのピッチャーの中でなぜ松平は飛びぬけた活躍ができているのだろうか。松平は自身の球歴を振り返る。「投げてかないとアンダースローは分からない、人よりはやめにできたことはリードになったのかなと思う」。エースとして活躍してきた中で歴史をつくってきた。高校2年の秋には市原中央高校としては初めてベスト4に進出した。それは間違いなく、松平の活躍があったからこそだ。そして、大学でもまたエースとしての道を一歩ずつ歩んでいるように思える。リーグ戦の時には自らの投げる試合の映像を見返すこともある。「試合の感覚だったり、今日はなんで調子良かったのかなと、どういう投げ方でどういうボールが行ってるのかを見ることが多い。自分の立ち姿やマウンドでのふるまい、自分がマウンドでどのようなフィールディングをしているか、声の掛け方、周りに見られた時にどうみられる方を見る。良い印象を与えることはいいことだと思う」。ピッチングだけではない。それ以外にも気を配っていることがエースの所以であろう。
アンダースローの何に惹かれるか
アンダースローの魅力とは人とは違う個性があること。松平はそう言う。「アンダーのカッコよさは打たせて取ったり、相手をかわす、あざむくことが一番の魅力。オーバースローなら真っ向勝負しかできない。アンダースローにはやってやったという感じがある」。アンダースローに転向したことは正解だった。かつては決して望む決断ではなかった転向も今となってはポジティブに捉えることができるようになった。「ここまでこれたのはアンダースローのおかげ、オーバースローだと大学野球で続けられていたかは分からない」。松平にとってアンダースローとは何か。「変わり続ける遺産だと思う。アンダースローというのは昔からある程度の人数がいるずっと続いている投げ方。その遺産は変わり続ける。時代ごとに多種多様のアンダースローが出てくる、常に変わり続けている投げ方だと思う」。長身のサブマリンは大学野球でも確かな成長を続けた。彼が新たな遺産を築いた先にはきっと次の大舞台も見えてくる。
(写真はぶるーたすさん(X:@bluamabase)提供、この場を借りて御礼申し上げます)

