※本稿は雑誌「スイッチヒッター2026年秋号」の企画「大学野球注目選手特集」に掲載した記事を再構成したものです。情報は当時のものです。取材にご協力くださった皆さまに御礼を申し上げます。
何者にもなれるー控え捕手から主将へ
内野手兼捕手から現在へ
軽やかな動きのキャッチャーがいる。日本一を目指すチームのキャプテンでもある。明治大学野球部の主将は大学日本代表にも選出された別の選手でも、3年次から絶対的レギュラーに定着していた別の選手でもなかった。それは福原聖矢だった。世の中には聞き上手と呼ばれる人がいるが、福原は質問される側であろうと聞き上手であることに気づかされるように思われる。それは必ずしも優しいということと直結するわけではなく、むしろ強い芯を持ち、目標に突き進む姿も垣間見える。そして、それは「熱さ」なのだろう。
中学時代から捕手と内野手を兼任していた。小さい頃からバッティングよりもキャッチボールに魅力を感じるタイプだった。高学年になれば遠くに打球を飛ばすことも可能となるが、低学年のうちはやむを得ないことであろう。チーム事情からキャッチャーとしての出場が増えていく。振り返ってみれば、その頃から大人びた選手であったのだろう。「キャッチャーとして試合に出ていたので、野球を知っていました。色々な考え方が年の割には備わっていたので、キャッチャーの方が向いていたのかなと。頭を使って野球をするのが好きでした」。現実的で成熟した考えは高校時代にも随所に現れる。「高校に入って、外野手とか周りの選手を見ていると埋もれるなと。言い方は変だが、守備はみんな上手くなります。外野だと長打を打たなければならないのに対して、キャッチャーならば守備面に重きが置かれ、自分の特徴が生かせるように思いました」。内野も守りつつ、捕手を守ると送球動作などに違いが生まれるのではないか。「基本的なところは似ていることも多いです。投げる角度や回転をかける角度が変わるだけで、そこまで苦にはならなかったです。内野の連携など自分がやっていたからこそ分かるタイミングやフットワークを生かした送球などでは生きます」。キャッチャー福原にとって内野手は一つのカギだった。
何を武器に戦うか
福原の目から見た明治大学野球部の内野陣とはいかなるものか。ショートを守る光弘帆高(履正社・4年)。入学時から力があったと前置きをしながらその守備を評価する。「すごいなと思うのは光弘。最初に見た時は普通かなと思っていましたが、一緒にやっていくうちにすごいなと。徐々に安定してきて固い守りだなと思いました。スピード感は高校生でも上手い子はいましたが、肩の強さはすごいと思います」。
力のある内野陣をホームベースから見つめてきた。しかし、そのチャンスは簡単にやってくるわけではない。大学日本代表にも選出された榊原七斗(報徳学園・4年)や光弘と比較すると、福原がいわゆる正捕手に定着したのは4年次から。それもそのはずだ。2年次から正捕手に定着していた小島大河(現・埼玉西武ライオンズ)の壁があった。
「正捕手になるには小島さんを抜かないといけなかったのですが、小島さんのバッティングにはかなわないところがある。勝てる部分はどこなのかと自分の持ち味を伸ばすことに専念していました」
好打を披露し続ける小島を側で見て、向かった先は守備だった。
「小島さんはキャッチャー歴が浅いので守備力とかその辺は勝負できると思いました。間の感じや配球の感じです。それでも、4年生のときには素晴らしいキャッチャーになっていたので、かなわないと思っていました。2~3年生の時はどこかで行けるだろうなと思っていました。守備では負けたくないという自分の思いがありました」
福原はキャッチャーの守備がいかに重要かを説く。ピッチャーにどんな球を投げさせるか。試合をどのように進めるか。スコアラーと対話をしながら、監督の指示を選手につなげていく。そして、それを「グラウンド上の監督」と表現する。
リードの極意
明治大学では寮の部屋は上級生が組みたい下級生を指名する。初め1年生は彼ら同士で組み、残った下級生が同じ部屋で過ごすこととなる。毛利海大(現・千葉ロッテマリーンズ)との同部屋も1年次の思い出の一つとなった。当時はその後の活躍ぶりを考えてみるとなかなか想像がつかないものだった。
「一個上の代で、毛利さんがちょうど悩んでいる時でした。同部屋の当初はずっと部屋で寝ているような感じでした。毛利さんの同級生のピッチャーはみんなレベルが高かったです。ある時、毛利さん以外のスポーツ推薦で入部したピッチャーはみんなメンバーに入っているのに、毛利さんだけは入っていないことがありました。それで悔しかったのか人が変わったように練習を始めて、見違えるような活躍をしました」
3年次以降、毛利が先発投手としてチームを支える活躍をしたことは周知の通りであろう。福原はそんな未来のエースが変わっていく瞬間を目の前で見た。
そんな偉大な1学年上のピッチャー陣とバッテリーを組む機会は意外なところからやってくる。3年春のことだった。開幕から正捕手として出場を続けていた小島が骨折のため離脱を余儀なくされたのだ。「リーグ戦初戦は緊張しました。でも、自分のプレーはできたかな。練習してきたことが出てきて良かったです。ずっと正捕手だった方が離脱して、チームが大丈夫か不安になった時に自分があたふたしていてはよくないと思い、堂々としていました」。ブルペンで控え投手の球を受けてきた期間。ホームベースでマウンドに上がるピッチャーを支え始めた。毛利海大、大川慈英(現・日本ハムファイターズ)、髙須大雅(現・ヤマハ野球部)とリードの仕方は当然異なる。「日常のような感じで試合中に接することは意識しています。毛利さんは心配性なので、こういう感じで攻めようと話した方が良いです。慈英さんはアバウトで来いと伝えた方が良いです。髙須さんもそうです」。打たれた後にどう声をかけるかまでキャッチャーの手腕が問われる。
何者にでもなれる
ようやくつかみ取った正捕手の座。キャプテンとしての責任もある。1シーズンを駆け抜け、プロ野球に対する気持ちも変わってきた。「3年春にちょくちょく試合に出て、社会人から声もかかるようになりました。秋に進路を考えていて、社会人で安定する人生も良いのかなと思っていました。でも、プロに行けるならいつになるか分からない。行けるときに行かないと」。指導者から高い評価を受けたことも挑戦を後押しした。引き出しの多いリード面の評価が高い守備型のキャッチャー。3年間積み上げてきたものでもあった。
福原は変わった。「自分も2年生までは全くリーグ戦に出てなくて、ベンチにも入らなかったので、本当に就活をしようと思っていた時期もあります。ずっとAチームにいる選手はそんなことはないが、挫折を経験した選手ならば一度は考えると思います。そういうところで努力はやめないで欲しいです。不安になっても自分のやるべきことをやるしかないとは思います」。そして下級生に向かって言う。「大学生には色んなことがあります。この大学にいると良い選手もいっぱいいるので、試合に出られない不安もあります。そういう中で野球を諦めないといけない選手も出てくる人生の分岐点です。一年生や二年生は何者にでもなれます。諦めるのか遊びに逃げるのか、今後の人生が変わると思います」。
福原は何になったか
強力投手陣が野球部を去った今年の春。ストライクを取ることにさえ苦労したリーグ戦の開幕から、湯田統真(仙台育英・3年)や平嶋桂知(大阪桐蔭・2年)といった期待の若手が力をつけ、最後まで慶大と優勝争いを繰り広げた。本番に強い投手陣だった。「リーグ戦が始まってからも誰が投げるのだろうかと思っていました。彼らもボール自体は良いものを持っているので、投げる場所が悪いだけだと話していました。後半はピンチになっても安心してサインが出せるようになっていきました」。
あと一歩何が足りなかったのか。「(同期は)良くも悪くも無駄なことをしない人が多いです。みんな結果を出してきました。リーグ戦であったり代表であったり、個人で調整もできます。それで逆にキレイにやろうとして空回りしていることもありました。オープン戦期間にもっと4年生が熱くなろう、闘争心を持ってやろうと言ってきました」。
福原は軽やかなフットワークと冷静沈着のマスク姿を残したまま、最後に情熱を求めている。「どんなに結果を残しても最後に後悔なく終わることができるのは活躍した選手だけだと思います。4年生の中にもベンチに入れない人もいますし、下級生にも入れない人たちも多いです。その人たちの分も含めて色々な思いを背負ってやる大学野球だと思います。最後はその辺も含めて悔いがないように、終われればいいかな」。何者にでもなれる下級生から鍛錬を積み続けた3年半。福原聖矢は確かな「何者」になった。
(写真は明治大学野球部提供)

